「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成27年7月27日〜】

 掲載号等  【第54号】:平成6年1月31日  

 河野太通老師
 祥福僧堂師家 【掲載当時】
 
 禅の生死観(その6)

 第22回 実践布教研究会より青年僧の課題
 

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 普化の生死観


達磨さんから数えまして、七代目が馬祖という人でありますが、この方のお弟子さんに盤山という人がいます。

三界無法 何れの処にか 心を求めん

 この言葉は、実はこの盤山和尚の言葉なのでありますが、この盤山和尚の法を継いだ弟子に、普化という人がおります。
 盤山和尚という人も変わった人でしたが、普化も全く変わった男でありまして、この方は臨済宗の宗祖、臨済禅師が鎮州の臨済院に住職する時に、もうすでに、鎮州の町におりまして、臨済の教化を助けるのです。この男がどこの生まれか、素性も育ちも全く分からない。本名さえ分からない。人々が皆普化と呼んだのですが、普化というのは、「普く化す」です。普く、誰でもいい。誰でも、とにかくお布施を貰って歩いた。そういう男なので、人がこういうあだ名をつけたのです。伝記のどこを探しても、これがどういう素性の本名を何と言う男なのか全く分からない。そういう人物が臨済の手助けをするのでありますが、この男がいつも町に出ては、鈴を振って乞食をやっておった。着ているものはボロボロである。人が哀れがって、衣を与えるのですけれども、どれも気に入らない。使おうとしないのです。


 その有り様を見ておった臨済禅師が、この普化の腹の中を読んで、ある時棺桶を買ってきて、「おまえに良い衣を一丁作っておいた」こう言って棺桶をやると、普化は大変喜びまして、その棺桶を担いで町へ出ていく。そして町の人達に、「わしは今日これから東の門に行って、死ぬことにするからみんな見に来い」こう言って歩く。皆がゾロゾロついていく。中国の町は城壁で囲んであって、東西南北に門があるのですが、その東の門の外へ出ますと、「今日はどうも気分が乗らんから明日にする」と言うので、みんな帰ってしまう。次の日になりますと、また棺桶を担いで町へ出てきて、「今日は西の門へ行って死ぬから皆も来い」皆がついていきますと、「今日も日が悪いからやめた。明日にする」次の日もまた同じ様に皆がついてきたがやめてしまう。四日目にまた棺桶を担いで町へ出た。ところがもう三偏もだまされておりますから、誰もついて行かない。普化は誰もついてこないのを見届けると、棺桶の蓋を開けてその中に入る。丁度そこに通りかかった旅人に、「わしは、これからこの中で死ぬから、あんたすまんが死んだのを見届けたら、蓋して外から釘を打ってくれ」こう言って中に入って死ぬわけであります。旅人が町に入って人々に話します。皆がそこへ駆けつけて、棺桶の蓋をこじ開けて中を見ますと、中はカラッポたった。ただ空中に隠々として鈴の響きの去るのを聞くのみ。と、こう伝記にはあるのです。


 実際にそんなことがあったとは思えません。思えないけれども達磨は、棺桶の中に靴を片方だけ残して、消えてなくなっていた。そしてこの普化が、今度は靴さえも残さずに、身ぐるみ抜けてなくなっていた。ここに禅が目指す生死を越えた世界があると思うのです。



虚空の如き身心

 身心脱落、脱落身心という、正に身心を脱落した、脱落した身心とはどういうものなのか。それが空であります。虚空の如き心であります。それが禅の理想だ。そういう虚空の心で、身心脱落、脱落した身心を生きていく。だからこれは単なる摩訶不思議な物語というのではなく、禅の目指す理想的な有様。真実というものを、こうした祖師の終末にかこつけて、語っておるのだと思います。こうした生死を脱却した身心。これを形に表現いたすならば、一円相を書かざるを得ん。大きな大きな、際限のない丸を書いて表現するよりないわけであります。関山国師は、その一円相すら残さなかった。

 そういう心は、達磨や普化の様に死ななきゃできないんだと、この話はそんなことを言っているのではありません。

生きながら 死人になりて なりはてて

 という歌がありましたけれども、我々が生きているということが、実は死んでおる。死につつあるということで、一日生きたということは、一日死んだということ。即今只今、我々は生死しておるということ。そしてその生死をさせる主体は、正に脱落した、虚空の如き己である。それを私たちはただ心に、頭の中だけに思うのではなく、一息一息の中にそれを実現しているんだ。意識する、自覚するかしないかは別にして、そういう生死を私は今、生死しているんだと、こう思うわけであります。

(完)