「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成30年3月〜】

 掲載号等  【第19号】:昭和60年1月発行 

東福寺派管長   岡田熙道老師

「御垂誡」
 
    
 

 忘路庵、岡田熙道老師は「管長は70才までぞ」といわれ乍ら、83才の今尚、お元気で岡山の宝福寺から往来しつつ、東福寺派管長としてのお忙しい職責を全うしておられます。その多忙な日程をさいて相見させて頂きました。
まづ私達が寺に生れた由をもって住職になったのと違いどんな動機でご出家されたのかというところからお話を伺いましたが、ゆったりと話される何気ないお言葉の中にも多年この道一筋に歩まれた古尊宿の温たか味と深い味わいが感じられました。
 
 
祖母の信心から
 私は早くから両親を失いまして、6才から祖父母に育てられました。この祖母が信仰の厚い方で、良く手を引かれてお寺まいりに連れて行かれたものです。その祖母は「お前は早う親を無くしたんやからお寺の小僧にいったが良い」とよく言われていたものです。その祖母が11才の時に亡くなって、結局そのことば通り井山の宝福寺にあづけられることになりました。
 行って見たら小僧が10人に客僧もいましたが、昔のことですから小僧の生活は大変でした。学校から帰るとランプ掃除から始まって色々な仕事をしっかりやらされました。それでも私は中学・高校までやらせてくれまして学校を終えると伊深そして南禅寺に修行させて頂きました。
 
 
「お前が!」といわれ
〜修行中に迷われたとか、又そうした時力になり救いとなった言葉とか師匠との出合いについて〜
 それは暫暇しようと思ったこともありましたよ。そうですね、それでも私が本気になったのは南針軒老師のおことばがあったからですね。
 この南針軒老師は実に厳しい方で、殊に参禅者は徹底叩かれました。私も独参は嫌でしたね。ところが昭和6年に師匠が亡くなり一度暫暇しまして次に挨拶に行った時、「宝福寺の後住は決ったか」と尋ねられ「はい遺言で私が・・・ということになりました」と申しました。すると「えっ、お前が!あんた井山の宝福寺に坐るんなら、こんなこっちゃあかんぞ、しっかりせにゃいけませんぜ」と言われまして、この時初めて「お前が…」といわれ妙に親しさを覚えたのでしょうか、それから本気になりましたね。そうなると今度は参禅が好きになってきました。南針軒には良く可愛がられました。
 
 
朝課を欠かさず!
〜長らく禅僧として歩まれた老師から、若い私共に是非言っておきたいというようなことがございましたら〜
 若い皆さんに言いたいことはですね、まづ朝課だけはキチンと欠かさんことですね。
 私は用があって末寺へまいりまして、まづ一番に本尊様にお参りします。この時?子を叩きますね。そうするとその音色で和尚様のことや、お寺の貧富がわかるものですよ。
 その次は掃除ですね、やはり。良く寺の維持といいますが、お金を追っかけたら駄目ですよ。お金に追っかけられる様にならねば・・・それより先づ本尊様を大切にすれば良いですよ。
 
 
托鉢を!
 私は小僧を十人育てましたが、終戦後農地解放で、田地が無くなってしまいました。今まで250俵入っていましたがそれが無くなってしまった。仕方無しに 「托鉢をしよう!」と小僧達の先頭に立って托鉢を始めました。托鉢はですね、1年間ズーっと続けると人は放っておきませんよ。尊いことですね。それに1番下化衆生にも良いと思いますよ。
 
 
檀家に甘えている!
〜この頃は、寺の生活を通してでも、なかなか後継者を育てる雰囲気も保てないところが増えていますが〜
 私から見まして、今の住職は檀家に甘えているんですよ。そう思いますね。檀家の方にも昔の様な信心が無くなったりして変ってきています。そうなると住職も自覚しないといかんようになりましょう。
 
 
無字から引き出せ!
これも修行中に無字を自分のものにしますね。その無字から引っ張り出すんです。応用工夫が出て来るんですね。
 例えばお金のある方はお金を、知恵のある方は知恵を出して頂く様にもっていくという風にですね。ま、それにはこちらも頑張らんといけませんがね。
 
 
若い方の力で!
「不二」は良いですね、これからは若い人で考えてどんどんやって下さい。子供を集めて坐禅会をなさるも大変良いでしょうね。ま、とにかく若い方の力でやって下さい!