「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成30年3月〜】

 掲載号等  【第55号】:平成6年5月発行 

仏通寺派管長 岫雲軒 對本宗訓老師

「看」
 
    
 

仏通寺との因縁
 私は、昭和29年愛媛県の八幡浜の蔵福寺(妙派)の息子に生まれました。父が、坐禅会をしておりまして、主だった居士さんたちがここの先々代、吹毛軒山崎益洲老師の許によく通ったそうです。益洲老師も天竜からおいでになってますね。先代さま(藤井虎山老師)も舞鶴の天竜寺派のご住職でした。仏通寺は、明治初年の頃、天竜寺の末寺になっておりましたし、開山様が夢窓国師のお弟子さんですから、まあ因縁は浅くはないですね。
 天竜寺の方へ拝請があり、平田精耕老師から仏通寺へ行けと言われまして、昨年九月にここに参りました。いま雲水は五名おります。私もまだ雲水ですから、できる事といえば、雲水の先頭に立って一緒にやる事ぐらいですね。雲水の親玉です。雲水たちに言うんです、一年なら一年、本当に自分自身に対して正直に、ごまかさないできちっと僧堂の中に居ればそれでいいと。
 
 
天竜僧堂へ掛塔
 大学は京都大学哲学科です。宗教学を専攻しました。天竜寺への掛塔は昭和53年秋のことです。坊さんになる縁はありましたが、お寺なんか絶対入るもんかと思っておりました。特に自ら進んで選んだ道でもなく、まわりから固められたという感じですね。天竜へ行ったのも、いろいろな方の意見とすすめで入りました。掛塔するについてもずいぶん迷いましたし、入ってからも常に心は揺れていました。この道でいいのかと。それでも、自分自身に対して不正直でありたくはなかったので、悩む時や苦しむ時にも正直に精一杯過ごしたつもりです。何度も辞めようと思っていろいろと方策も立てて一度は下山もしましたが、結局は僧堂へ帰らざるを得なかった。心の奥の方に一本の糸筋があって、常に引っ張られているという感じでした。
 僧堂生活が長くなるにしたがって、今度はいろいろな人々の恩というものを切実に思うようになりました。多くの人たちの有形無形の援助によって僧堂に居さして頂いたんだから、今辞めては皆さんの恩に背くことになる。それに精耕老師にも申しわけない。そういった思いが、継続の一つの力になりましたね。
 
 
応用編
 十年経ったところで老師に放り出されました、もう中に居なくていいから、外から通えと。大徳寺の塔頭にしばらくおりましてから、東京の全生庵に行きました。禅文化研究所にも一年位居りました。僧堂出てからが非常に苦しかったですね。経済的な事でも、また色々な世間の声も聞こえてきますから、かなり鍛えられました。綺麗事ってないなと本当に思いました。
 ある程度の基本の力は僧堂で培えるけれども、大切なのは基本にとどまる事ではなくて、世間の荒波の中で、色々なことにぶち当たって鍛え上げていかないといけないということでしょうね。精耕老師は、応用編と言
われます。
 
 
父から学んだこと
 父は四年前に遷化致しましたが、父からものを教えてもらったという記憶があまりありません。普通の家庭の親子の対話といったようなことは、基本的にはありませんでした。ですから、ある意味で私は母親っ子で育ったようなものですね。父は既になにか怖い存在でした。お坊さんとしては非常に厳しく生きていたと思います。多少ひいき目はありますが、最近そういう生き方をしているお坊さん目にしないですからね。
 私が父から教えてもらった、本当に学んだというのは、父が病気してから後のことなんです。父が病気してだんだんと気力も衰え弱っていく。その老いさらばえてゆく姿は、病人以外の何ものでもない。息を引き取り、死んで冷たくなってゆく姿が、私への最大の教えだったと思うんです。そのことから多くのことを学びました。これまでいろいろの人の病を見てますけれど、やはり身内の場合は違いますね。老いの問題にしても。一番こたえたのは死の問題です。お坊さんですから、お葬式にはよく行きますよね。枕経にも行きます。あそこに横たわっているのが死だと思っていました。うかつでした。父の死に立ち会うまで気付かなかった。あれは亡骸であって、死ではない。死というのは、言ってみれば一つのプロセスですね。デス (Death)というものは死ではなくて、ダイイング (Dying)、それが死だと私はよくわかった。それまで全然違った方へ目を向けてました。非常に恥ずかしかった。本当に死というものを総点検しました。よく「生老病死」なんて、さらっと簡単に言ってしまいますがね。宗教者として、またひとりの人間としてもそうですけれど、このダイイングということをもっと見て行かなければいけないと思います。
 
 
青年僧への提言
 お互いいいお坊さんになりたいと思いますね。僧堂に五年十年居たとしても、いいお坊さんになるかというと、ちょっと別問題ですよね。もちろん僧侶としての、あるいは禅僧としての最低の見識は持って欲しいと思います。しかし、お坊さん以前の問題として、普通の人間として、なんでもないことができない人って結構いますでしょう。常識の問題というか。そういうところが眼についてしまいますね。片寄るというの嫌いなんです。片寄るんだったら何も知らない方がましだと思います。
 更に大事なことは、自分を真正面から見つめる勇気をもつことじゃないでしょうか。赤裸々な自分の有り様を、眼をそむけず見つめてゆく。何事でも真正面からは、なかなか見にくいものです。しかし、現実を見る眼というのは、全部そこからスタートだと思いますね。衣を脱いでみないと見えないことがある。衣を着ていたんでは分からないことがあると思います。
 「衆生無辺誓願度」なんて言いますが、それは自分が迷える衆生に手を差し伸べて、一段高いところから禅を説くということではないはずですね。どこか高い所に立って高尚なことを嘯いて、口先の綺麗事に終らせてはならないと思います。
 
 
現代社会への視点
 時代の流れ、大きな意味で意識の流れというものがありますので、その変化をきちっと見てゆくべきですね。時代の流れを常に見て、それに即応していかないといけないのではないでしょうか。現代においては、環境の問題と死という問題、この2つが大きなキーポイントだと思います。ただし、その社会を見る視点が問題です。坊さんだとか、禅僧だとか、仏教徒だとか、常にそういうところからものを見ているような気がします。そういった枠組みを一度はずしてしまって、とっぱらったところから見直してゆく必要があると思いますね。事実をありのままに見てゆくということでしょうか。