「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成30年11月〜】

 掲載号等  【第59号】:平成7年6月発行 

神戸 祥福寺専門道場 河野太通老師

「震災!聞思修」
 
    
 
 祥福寺は高台にありますから、街全体を見渡すことができます。地震当日の朝、寺を一回りして被害の確認をした足で、庭先に出て街を見おろしてみましたら、火の手が四本上がっていたでしょうか。それなのに消防車や救急車のサイレンの音がしていない。それどころか、一般の車も行き交っていないようでした。とにかく音が全くしていないのです。辺り一面、全く静寂を保っていたんです。これはただ事ではないと直感しました。不気味でしたなあ。しばらくして、総代の家が長田にあるのですが、そちらの方に火災が発生していると聞きました。あいにく、その総代さんは入院中でしたし、きっと奥さんも看病されていることだから、家には誰もいないかもしれない。せめて所帯道具の一部でも持ち出せないものかと出かけようとしたら、山門が倒れてしまっていました。とにもかくにも、自転車で長田に向かいました。途中途中の知り合いの家を確認しながら長田に向かったのですが、辺りはとにかく手のつけようがないほどに崩壊していた。幸い火の手はまわっていなかったし、中に入れぬ程に崩れていたおかけで、空き巣ねらいも入れないだろうと、その場は引っ返したんです。その足で病院へ向かいましたら、総代さんは集中治療室に入っていたんですが、ベッドがゴロゴロ右へ左へ走り回ったらしく、パイプが全部はずれてしまった。奥さんだって、立っていられないような揺れでどうしようもなかったようでした。

寺に帰って、雲水と崩れた山門の後片づけをしましたが、その最中にも近所の人たちから助けを求められ、二人救助することができました。寺の後片づけが一段落して、いまおこなっている炊き出しを始めたのです。
 
 
 
地震後の水とガス
当初はですね、祥福寺の井戸水が使えたんです。近所の方も大勢来ましたが、それが三日ほどで枯れちゃいましたね。というのはだいたいここは高台だから、なんぼでも湧くというものじゃないですね。それに地震が来る前までは、渇水渇水って騒いでいたじゃないですか。今年になって、雨が何度降っているか知りませんが、今も深刻な渇水状態なんですよ。それが地震があってからというもの、マスコミも地震のことばかり前に出すものだから渇水のことが全然言われなくなってしまった。それで井戸水が枯れちゃった。近所の人も祥福寺の水が枯れちゃったってことで来られなくなった。しかし、井戸水っていうのはしばらくすると、また湧いて来るんですね。

こんなことの繰り返しをしていましたが、まだガスはきていない。お店はやっていますよ。営業はしていますが、ラーメン屋さんなんかでも、強い火力の必要なメニューはまだやっていない。カセットコンロなんかで営業しているんです。それでも、営業しないと現金収入かありませんからね。だから、一般の家庭でもカセットコンロなんですよ。とても温かい料理はできない。中には、プロパンを用意するところもありますが、あのタンクを用意するだけでも大変なんです。それにガスの詰め替えに丸一日かかってしまうんです。

ようやくガスが復旧したのはまだ最近のことです。二日ぐらい前じゃないですか。
 
 
 
被災者へ「ぜんざい」を

今、祥福寺で「ぜんざい」の炊き出しをしていますけれども、小豆なんて煮えないわけですよ。だから避難所で炊き出しをすると、まわりの食堂に影響はないかという心配もありましたが、お店はやっているけれども完全な営業はできないわけです。それとお金があればみんな温かいものを求めて食堂に行くでしょうが、みんなこれからどれだけお金がかかるかわからない。お金さえ出せば温かいものを口にできるけれども、これから先のことを考えると、そう無駄遣いできないわけです。節約できるところはできるだけ節約しておかないと、あとが大変なんです。ですから、炊き出しが店の商売がたきになるようなことは、まずないと言っていいと思います。

当初、私たちは、避難所で動けない人のために「ぜんざい」を出前することを考えていました。それで、平均避難所に二百五十人ぐらいの方が避難されていますが、昼はそれだけの人はいないでしょう。そうですね、五十人ぐらいでしょうな。だから、持っていって、ものが余ったら次の避難所へ持っていく。足りなくなったら、「また、明日持ってきます」ということで、避難所を巡回していく計画でした。それで、三百人分のものを作って、二百五十人分は出前をして、あとの五十人分を通りがかりの人たちにいただいてもらうことにしたんです。だから当初は、寺で作って、避難所へ持っていったんです。今もやっていますが、それが運んでいる間に冷めてしまったりするので、兵庫駅前に出城を作って、そこでこしらえて持って行くなら、避難所も近いからいいと思った。区役所と相談して、あの兵庫駅前を都合してもらったんです。

こうした活動も、売名行為ではなくして、控えめながらも身元を明らかにせねばと思っています。どこかの団体で、宗教者が活動していないじゃないかということが言われたそうですが、それでも垂れ幕なんかを作ってドンチャン騒ぎをする必要はない。が、身元だけは明らかにしておく必要はあると思います。街が混乱していますから、いろいろな者が出て来るんですよ、空き巣ねらいとかがね。だから、うちの雲水にも腕章をはめさせて動くようにしています。
 
 
 
合同葬
大勢の人が亡くなり、祥福寺でも合同葬を行いました。当初は棺桶が足りなくて葬儀屋さんも苦労していたみたいです。身元の分からない遺体がたくさんありました。家で亡くなられた人ばかりではなく、たまたま朝のジョギングの途中に震災に遭われ、ビルの下敷きになられた方もいました。たとえ家で亡くなられた人にしても、火災に遭われたところは誰のお骨なのかもわからない状態なのです。
 
 
 
被災寺院の悩みとこれからのこと

今は京都まで行くのに、往復だけでも大変だから京都に泊まったんですよ。そうしたら、ホテル側で被災者を対象に宿泊料金の割引をしてくれていたんです。こうした場合は、罹災証明はいらないわけですけれども、ほかの場面でこの証明も必要になってくるかもしれないから、一応証明は私も含めて、雲水も全員いただきました。それでどうこうしようという気持ちはありませんが、被災したことには間違いがないのですから、とにかく証明だけは取っておかなくちゃならないと思いました。

全くニュースになりませんが、たいがいの寺院が被害を被っています。しかし、家屋が全壊したからといって、お寺は自分の家じゃないんだから、義援金は下りないと思うんです。和尚個人には、行政からもある程度の補助もありましょうが、寺自体にはないものと思っています。檀家が少ないお寺などは自力で復興することは大変なことだと思います。まだまだ長期戦になりましようし、被害の大小もまちまちですから、とりあえずお寺に一律に見舞金を出すということは必要なことだと思います。

先般、日蓮宗の和尚さんが来られて、全壊したお寺にプレハブだけども、仮設本堂を寄贈したいと言われる人がありました。そのお寺の候補を十ヶ寺ほどあげてほしいと言われるのです。それを、宗派を超えてやっていきたいと言われるのですね。そういう方もいらっしゃって、元気づけられました。

私も震災後すぐに、最寄りの会下のお寺を訪ねました。庫裡は全壊の状態でしたが、本堂は何とか、傾いているが持ちこたえているんですよ。それなのに住職がいない。寺は放ったらかしですよ。お墓参りの人も訪れているというのに、お寺としての活動をしていない。和尚は、もうボーっとしてしまってね、情けなくてね。せめて、本尊様を整えて、お寺としての働きを復興して行かなくてはならないと思いましたね。