「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成30年12月〜】

 掲載号等  【第63号】:平成8年11月発行 

岐阜県 禅昌寺 住職 
幽松室鈴木宗孝老師 

    
 
 
仏縁
私は、学生時代から「思想」というものに興味がありました。中でも西洋思想にずいぶん興味がありまして、キリスト教にも足を運んで、牧師さんからお話を伺ったこともありました。しかし、なかなか自分を納得させることができなかったのです。その迷いの中で、今度は東洋の思想、中でも仏教の、とりわけ禅思想の「無碍」というものに強く惹かれていきました。
その頃、下宿していたところの裏に曹洞宗のお寺がありました。下宿のおばあちゃんが、「鈴木さんは珍しい人だから」という理由で、坐禅を勧められまして、そのお寺の和尚さんをご紹介いただいたのです。それを機会に坐禅会に出席するようになりました。ところがそのお寺の和尚の話が、私の聞きたいところにピッタリときまして、とても面白く、しばらくその坐禅会に通うことになりました。
後日、禅昌寺に住職する前に、久しぶりにそのお寺を尋ねたことがありましたが、やはり坐禅会は続いているようでした。たのもしいお寺です。こういうことがきっかけで、名古屋に帰ってきてからも、たびたび各地のお寺を覗くようになりました。
徳源寺の松山萬密老師の提唱もよく拝聴させていただきましたし、山田無文老師が学生時代を過ごされた龍珠寺の坐禅会にも通いました。龍珠寺は、無位室の兄弟子が住職されていました。またすぐ近くに、海国寺があって、無位室が提唱されていたとのことでしたが、その頃は存知ませんでした。
 
 
得度
やがて就職したのですが、サラリーマンをしながらも、自分を見つめなおしてみたい、というあるきっかけがございまして、そこで一宮の妙興寺に居士としてお世話になるようになったのです。
得度は三十五歳の時、妙興寺の先住の無位室にしていただきました。そのとき老師から「一度両親に、得度を受けた挨拶に行って来なさい」といわれ、私は勘当の身でしたが、叱られる覚悟で親父のところへ行きました。案の定、二度と出入りするなということにはなりましたが、それが私にとっては励みとなりました。自分で好きな道を選んだ訳ですし、これまで色々ありましたけれども、親父の言葉を杖にすることができたからこそ、今日までやってこられたと思っています。
 
 
位室の思い出
得度の翌年、妙興寺に掛塔させていただきました。無位室には十四年お世話になりました。
老師はいわゆる「計らい」を捨てきる、というお方でした。まさに無心の方だったと思います。私か妙興僧堂の在番を引き受けるようになった頃は、妙興寺が隆盛していく為に、いろいろと模索した時期でもありました。しかし、そういった計らいのすべてを、無位室は否定されました。「そういうことは余分なことだ。ワシは一人だけになっても僧堂としてやっていく。」というお言葉を聞いて、私も腹がすわりました。
無位室は本当に計らいを捨てることに勤めておいででしたが、自分も捨てるが、まわりのものにもやかましくおっしゃっておられました。私か禅昌寺にお世話になるにあたっても、「計らいを捨てて、縁があったら行け」と言われました。老師のこの言葉は、いつでも草履とあじろを支度しておく覚悟を忘れぬ、自己を戒める厳しい言葉としていただいております。
 
 
出家者として
「僧風刷新」と叫ばれる中、これから益々宗教は見なおされます。厳しくなってきます。もうすでに見直しの時期にきています。世間の人たちから疑問や悩みの答えを求められたときに、きちんと返答のできるよう自分の見識を高めていくことが、益々必要な時代となってきたと思います。
私たちは出家者です。臨済録にも「真の出家」のことが出ています。出家が在家になっていたのでは、出家とはいえません。法衣だけ着ていても在家ですよ。お寺の跡継ぎだからといって、法衣を着ているんじゃないんです。お寺の運営もありましょうし、子弟の教育ということもあるでしょうが、出家という姿勢を志として、心の中に持ち続けなくてはならないのではないでしょうか。亭主であり、父親なのですが、本質的なものは和尚は和尚でなくてはならないということです。
 
 
住職として青年僧として襟を正せ
一ヵ寺を預かるということ、通常の世間でいえば、取締役社長ですね。一つの組織のトップとなるためには、企業では二、三十年の下地の積み重ねが不可欠なんです。ところが坊さんの世界ではどうですか。大学を出て、道場へ二、三年も行けば紫の法衣を着ることができて、常に上座に座っている。世の中からみたら、「若造が偉そうにどうだ」ですよ。この点を自覚して坊さんは自身の襟もとを正さなければならないと思います。世間の人たちは表で言わないだけ。腹でみんな思っていますよ。これからの宗教界を背負っていく若い人たち、皆さんのそれぞれの自覚が問われるときだと思います。うっかりしていると、益々世間から離れていくと思いますよ。これは私のような特殊な坊主だからこそ、気が付くことだと思います。敢えて嫌われても私は伝えたいと思います。
住職として、青年僧として、色々な矛盾が出てくると思いますが、それを自分なりの新しい時代に適応した方向で解決していくことはいいことです。ただ宗教家としての原点だけは間違えないようにしていかねばならんと思います。昔からよく言うじゃないですか、「世渡り上手の坊さんになるな」と。世間はよく見ていますよ。厳しいですよ。真実を求めようとする姿勢は、在家の方がしっかりしていると思いますよ。
 
 
お寺というところ
世間の人々は、日常の大変なところで日々生活をしていて、その日々に実践をしています。そこで色々な妄想や執着にどうしても振回されてしまうのでしょう。看脚下、放下着の場所であるお寺は、そういうものをすべて捨てられる所でなくてはなりません。お寺ではじめて、本来のきれいな心の状態に立ち帰ることができて、そして新たな心もちで娑婆に戻って行かれるんです。世知辛い世の中の休息場所がお寺なんです。だからお寺まで来て窮屈な思いをさせては、せっかくのお寺で、何か得られるものを吸収すらできなくなってしまうんです。お寺という場所はまず一番の心の拠り所であり、やすらぎの場所であり、そして英知を養える場所でなくてはなりません。でなければ、お坊さんの本来の姿勢からはずれてしまうと思うのです。雲の上の和尚では、役に立たないのです。
 
 
我が宗風の自覚
私は、その地域の人々に、自分のいいところも悪いところもすべて感じとっていただける和尚でありたいと思っています。そこに私の個性が発揮されるんだと思います。
臨済は、自分自身のそれぞれの個性、特性というものを発揮して、自分のめざしているものを実践してきました。この臨済宗の宗風というものを、これからのお坊さんにしっかり受け継いでいただきたい。臨済宗に臨済らしさがなくなってしまっては、寂しいと思うからです。
臨済宗は、けっして今の時代に合った宗風ではなかったと思います。現代では宗派の同一化が進んでしまっていますが、時代に適合しながらもわが宗風をしっかりと自覚し、それを述べていくということは大事だと思います。
 
 
檀信徒の家風
さらに檀信徒の方々に、自分たちの宗風を明らかにしてこそ、初めて檀信徒の方々に家風というものができるんだと思うのです。近頃なくなってしまったのが、この家風ですよ。個の主張、尊厳というものは立派なことです。しかし家風というものを否定することは、国家そのものも否定してしまうことにもなろうかと思います。「四恩に報いる」と、回向にありますけれども、いったい何の恩に報いるんでしょう。個の主張、尊厳ばかりに振り回されてしまって、心がなくなってしまうと思うのです。この点に我々の布教活動の不備があるのではないでしょうか。


厳しいことばかり言ってきましたが、しかしこのくらいの厳しい時代をこれから迎えなくてはならないのです。青年僧の皆さんには、ひとつの輪を広げていただき、それぞれの持味を生かして、法輪を転じていただきたいと思いま。そうして初めて、私たちは、雨露をしのぐお寺に住まわせていただけるものと思います。
 
 
 
幽松室プロフィールー
昭和十七年十月  愛知県知多郡大府町にて出生
昭和五十五年六月 愛知県一宮市大和町 妙興寺住職挟間宗義老師につき得度
昭和五十五年八月 妙興専門道場に掛塔
平成五年八月   岐阜県益田郡萩原町 褝昌寺住職に就任現在に至る。