オンライン不二 002 納棺師 笹原氏
過去の不二
【オンライン不二 002号】
2022年6月14日公開
「いのちの現場こころのはたらき」
~ 復元納棺師 笹原留似子氏と考える ~
復元納棺師 笹原留似子氏
昨年九月に行われた第三十回講座住職学に登壇頂いた笹原留似子氏にオンライン取材を行った。講演では主に東日本大震災の被災地での活動の話題であったが、いのちの見解に於いて我々禅僧の思想と重なる部分が多かった。生きているとは即ち死する事だが、大事なのはそれと向き合いどう生きるかである。この問題について、現代の「いのちの現場」の第一人者である笹原氏と共に考えて見た。
横山友宏:以下横山
お互い葬儀に関わる立場ですが、私達は直接遺体に触れる事はございません。納棺の時にどのように感じておられるのか興味があります。また遺族の方と共有されている空間っていうのはどの様なものなのでしょうか?
笹原留似子氏:以下笹原
まず遺族の気持ちがどこにあるのかを確認します。故人の死因により遺族の感情も当然違いますが、私はそこを分けて考えません。大事なのは遺体となった故人と、大切な存在に先立たれた遺族との距離を近づける事です。遺族は故人に対して生前に辛い思いをさせてしまったと自責の念を抱く人も多く、特に遺体の表情を見た時にその感情は強くなります。死後変化により遺体は目や口が開くので苦しそうな表情になるのですが、その表情を技術により生前の表情に戻して、故人と遺族の距離を近づけるのが私の仕事です。遺族の方々が自ら触れたくなるような表情にするのは正に自分との勝負でもあり、その空間との対話でもあります。作るのではなく戻す事が大事なので、その場に居られる遺族の方々の気持ちと共に、故人の本当の笑顔を取り戻すよう心掛けています。それには死因など関係なく、故人と遺族とが最後に向き合う機会の場を提供出来ればと願っております。
私は遺体に触りながら、シワがどこにあるか、口角がどのように上がるか等を考えます。すると遺体が教えてくれるかのように生前の笑顔を示してくれるのです。それに従って復元したお顔を見て、「名前を呼ばれそう」だとか、「さっき息したんじゃない?」と言う方も居られますが、それは私が一人で技術を提供したという事ではなく、故人と共に頑張った事の評価だと思っています。
震災の時に安置所にて思ったのは、人の中に仏様が居るという事です。安置所は何もない環境の為に皆が協力しなければなりませんでした。その時に警護してくれた警察官、家族と対面し泣きながら亡くなった方、そして家族の死を受け入れた遺族の方も、それに気付くか気付かないかというだけで、人は皆仏様なのだと感じました。現場は過酷で睡眠時間もなく、食事も出来なくなりましたがその極限の状態により、亡くなった人からの「ありがとう」の声が聞こえたり、目の前の遺族が黙っていても思っている事が分かったりして、特別な感覚が研ぎ澄まされた様でした。実は私の母親は僧侶であり、イタコとして死者を口寄せしているのを小さい頃から見ておりましたが、私にもそのような遺伝子があるのかなと思いました。家は山伏の家系で、母親も滝行や寝ずの勤行等の修行をしており、被災地の環境は正に母親の修行と同様に、自分を極限に追い込んでいたのでしょう。しかし母親から言われていたのは「あなたは宗教者ではない」と言う事でした。イタコの道を行くなら修行が必要ですし、何にしても二つの道を行くのは大変だよと言われました。
山田慈康:以下山田私は死者も生きている人も身体があるかないかだけの違いで、同じだと考えております。霊や魂というものではなく、大事な存在を亡くした後に聞こえる亡き人の足音や、亡き人の姿を見たという所謂心霊現象は、他人からすれば気味の悪いものです。しかし遺族にとっては会えなくなった人に会えたという喜びに思う人もいて、私に電話をくれた事もありました。これに私は、故人はあなたと今までと変わらない関係で存在しているのでしょうと答えましたが、このように宗教的ではなく、民俗的風習からの死者との接し方も大事にしております。法医学の見地では、死体は一旦弛緩した後で筋肉の収縮が起こり硬直します。これが死後硬直というものですね。その死後硬直状態から時間が経つと腐敗により死体は柔らかくなります。ある日死後硬直した遺体に僧侶の方が拝むと、たちまちに硬直が解けた事がありました。これには私も周りの人達も驚きまして、成仏してくれたとか、苦しみが取り除かれたのだとかと思わずには居られませんでした。そして極楽浄土とは何処かにある場所ではなく、このような瞬間の事を言うのかなと感じました。
笹原臨済宗では「當処即ち蓮華国此の身即ち仏なり」と言いまして、私達が生きているこの世界が極楽浄土で、私たち自身が仏であると伝わっています。更に生と死は分けずに一つと考えますが、これも先程仰っておられた事が法理として伝わっております。笹原さんのお話を伺っていると、仏教の理論を自然に体感されて居られるように思えます。仏教とは理解して実践するものではなく、人が生きて行く中に仏教の理念が含まれており、それに気付くかどうかの問題ですから。
山田不思議な体験が多く、誰も信じないだろうから秘密にしようかと思う事も、このように死んだ人を思い続けても良いと僧侶の方に言われると自信になりますよ。そのまま思い続けて良いという事ですよね?
簡単に諦めるという事はしなくても良いと思います。
笹原
山田その事を是非伝えて下さい。お寺さんが言われるなら遺族はとても自信になりますよ。
笹原よく死んだ人の魂は何処に行くのですかと質問されますが、私は亡くなった方の魂は「あなたのこころ」に行きますと答えます。これは何方かの受け売りですが、実際に大事な存在を失った際に大事なのは記憶に留める事ですので、良い表現だと納得しております。そしてお墓に納めるときには、「うちの人は極楽に行くのではないのですか、何でお墓なのですか?」と聞かれますと、私はここが極楽だからだと答えています。そして悲しくなったらお墓に行けばいつでも会えますよと続けて説明しています。法事や葬儀は生きている人の為のもので、生きている人が悲しみ等の感情と向き合い、納得して生きて行く為の儀式です。形あるもの全て何れは消えて行きますが、その消えて行くもの達が支えあって生きているこの世が私達の世界です。その世界でたまたま近しい人の死に立ち会い、誰もが生きている限り死を迎えるという事を自覚するのが法事や葬儀の目的です。そして一周忌、三回忌と法事の度に人が集まって故人を偲ぶ事は、遺族にとっても心強く、日頃はこころの中にしまってある故人への思いを周囲にも伝えられるので、とても良い習慣だと思います。しかし現代は法事や葬儀を行う意味に関心を持つ人は少なくなっています。先程の説明をしても理解されないかも知れません。寺院の活動として僧侶がこの習慣を続けたいなら、僧侶も自身の体験と、下世話な解釈ではない自らが拈提を重ねた思想を基にして、葬儀や法事の意味を伝えていくべきでしょう。
山田是非その事を広めて下さい。お坊さんの事を皆が必要としています。私は皆が笑顔になれる社会を作りたいと思って納棺をさせて頂いております。死んでいく人は何かを遺そうとしていると考えておりまして、それを感じ取り学ぶ事は死んだ人に人生に於いて大事な事を教わるとも言えます。それはお腹の中や、産まれてすぐに亡くなる赤ちゃんのように何もしゃべった事がなくても、自らの死をもって何かを私達に遺そうとしています。しかし一人では悲しみに苛まれ、死んでいく人から学ぶという余裕はないでしょう。そのサポートが出来るのは宗教者で、私は遺族に、困ったらお寺に行くよう薦めています。どうして死んだのかに囚われるのは悲しみを乗り越える為の通過点に過ぎません。落ち着いたらそこから振り返りその人が生きた道を意識に引き継ぐ事で、遺族は悲しみの先に自らが生きる道を見つける事が出来るのです。一人でここまでは考えられなくても、お坊さんなら理解とアドバイスを頂けると信じております。また納棺には遺族の人間関係を取り持つ事もあります。生前に故人や遺族同士で仲が悪くても、棺の中で微笑んでいる故人のお顔を見て、これまでの争いや憎しみがなくなる事例を多く伺っています。これには悲しみから始まる感情の整理が関わっていると思います。人にある強さや弱さ、優しさや悔しさ等の普段は隠れている感情が大事な存在を失った悲しみと共に動き出し、それらと向き合い乗り越える事で人の精神は成長します。それで血の繋がっている人と争うなんて無意味だと気付くのでしょう。そう思うと悲しみは決して悪いものではない気がします。
講座住職学のときにおっしゃった「悲観にまつわる反応」についてですが、ショック期(思慕、想起)→喪失期(疎外感)→閉じこもり期(うつ的不調)→癒し、再生期(適応、対処の努力)という流れを見ておりますと、やはり悲しみや苦しみは生きる上での修行であると思いました。仏教では生きる事も死ぬ事も苦しみであり、この苦しみに対する覚悟が出来た時に涅槃の境地に至るとされています。それは意識してその境地になろうと思ってなるのではなく、人間が持つ「こころのはたらき」と消え行くものに対する感情が整理される事により期せずして訪れるものです。そのトリガーとして悲しみがあり、悲しくなるのは大事な存在の喪失を虚しいものにしたくないから沸き起こるのかも知れません。
笹原
山田悲しみは絶対人が育ちます。だから人は悲しみを持っているのだと思います。仕事に於いても人生に於いても悲哀を感じ挫折を味わった人は本当に素敵な人が多いです。逆にその経験がない人には心無い発言や行動が見られるように思えます。ですからそのような人こそ悲しい経験をした際にはしっかりと自分自身と向き合って欲しいです。そして死をこころの中に持っていれば深い悲嘆に堕ちる事はないように思います。普段から物は壊れる、花は枯れる等この世は常に生と死が隣り合わせの世界です。社会にその意識があれば成熟した世の中になると思いますが、現実はそうではなくあらゆる事に無意識な社会となっています。特に死んだ人を気味の悪い存在とするのは、自分の中にもある死を認識出来ていないからでしょう。
笹原同じような話がありまして、私が小学生の頃に、夏休みの行事で肝試しを自坊の墓地でやっていたら祖父に物凄く怒られました。そしてお墓は怖いところではないとその時に教えられました。未だにお墓は幽霊が出る場所と思われていますが、何方かのご先祖様方をお化け扱いするのは無礼で幼稚な考えですね。
山田お墓に幽霊が出るのなら人生相談したいぐらいです。私は人生に悩んでいる人にはお墓に行くようにと言っています。墓地は生と死が共存する場所です。死んだらどんな感じですかという質問でもしてみたら如何かと思います。私は医療従事者にもお寺に行くように薦めていますが、お寺は多くの人にとって絶対的な存在で、職種を問わずアドバイスを頂ける、そして自分が存在していると実感できる空間であると思っています。私の曽祖父は北海道の小樽市にあるぜにばこ銭函という集落の村長でした。ここはニシン漁が盛んでしたが、あるときニシンが不漁になり自殺者が続出したそうです。曽祖父は支援物資を賄い救済活動をしましたがそれでも自殺者は後を絶たず、最終的にはお寺を建立したそうです。そこに行けば寝食の心配はないという事で、悩んだらお寺に集まるようにしたそうです。そうすると人間としての生理現象も正常になり集落は復興したそうです。昔の話に留まらず、現代もお寺を中心にコミュニティーを形成すれば、あらゆる課題や社会問題が解決するはずです。
横山私達臨済宗青年僧の会は、今まさに寺院から始まるコミュニティーの形成を立案しています。寺院は建立してから他の場所に移転する事がまずないので、人口の流動や社会の潮流に関係なく古くから地域に根差して現在まで残っています。日本地域形成は、過疎地域のように行政サービスや交通機関が縮小している地域や、都市部のように便利であるはずが、人口が集中している為に機能不全に陥っている地域が両極となっています。この構図は中々変えられないと思いますが、どんな地域でも人が住んでいる限りは、住人にとってあらゆるメリットとデメリットが共有されてなければなりません。その調整が出来るよう私達禅僧は社会のイノベーターの一員でありたいと思っております。
笹原色々と話は尽きませんが、そろそろまとめにという事で。本日お話を伺いまして興味深かったのが、死は通過点であるという事です。仏教では明暗や良し悪しなど相対するものを二つに分けず、両方の性質は具有するものとして一つと考えます。生きると死ぬも仏教では生死と言いますが、笹原さんの死は通過点という表現はまさに仏教的死生観の一部である生死の事です。その事を仏教で言うところの教義ではなく、自らの体験でお気付きになられた訳ですが、どのような体験がきっかけでしょうか?
横山納棺させて頂いた遺族の方達から後日連絡を頂くのですが、それがきっかけです。大事な人に先立たれるのは置いて行かれるような気持ちでとても辛かったという事から、時間を経て、先立つ側も置いて行きたくはなかったのでは?という答えに出会うと多くの方々から伺います。ですから死は通過点で、生きている人はまだその後の人生がある為に、それぞれの歩き方で通過点を乗り越えて行くのだと感じました。
私達も葬儀の後も遺族とのお付き合いは続きます。死は通過点という事で、私達にも必ず訪れる死と向き合い、それを多くの人に伝えて行きたいと思います。~いつの時代も遺族は故人との向き合い方について悩む事だろう。大事な存在を失った際には亡き者を忘れるのも思い続けるのも苦痛である。しかし残された者達は自分達の人生を歩まなければならない。その為悲しみは悲しみのまま心に残しておく。つまり悲しみと一つになる事が悲しみの苦痛から離れる方法である。笹原氏の行う〝参加型納棺”はその為の儀式なのだと感じた。人が生きている中に死がある。自らの死に触れる事は出来ないが、他者の死に逢う事で我々は自らの生の中の死を感じる事が出来る。それはまるで亡くなった人が生きている人に死というものを伝えている様でもあり、その共有空間を参加型納棺は難しい説明もなく、ただ参加者の体験でもって具現化しているのである。最終的に悲しみの苦痛を和らげるのは他からの働きかけではなく、自らの「こころのはたらき」である。宗教が形骸化し、あらゆる儀式が社会的慣習として営まれる現代に於いて、法事や葬儀の意義や必要性について語るのは野暮なのかも知れない。それよりも僧侶の立場としてすべき事は各々の「こころのはたらき」に気付かせる事である。それを社会的取り組みとして実現する事が今後は強く求められるだろう。
◆笹原留似子氏プロフィール
札幌市出身、岩手県北上市在住。北海道神宮に正規の巫女として奉職。宮内庁の舞楽、雅楽を習得し神前で奉納。三年後巫女長となる。その流れで民俗学者、神職などで構成された民俗学学術研究会に現在も所属。先祖は山伏でもある。死やいのちに関わる民俗学を、語り部としてYouTube「おもかげチャンネル」で配信。
2007年株式会社 桜 を立ち上げ現職。県内外7つの看護学校の特別講師としてグリーフケア、グリーフケアに伴う接遇講師を担当している。主要都市7か所を基本として医療従事者、介護職、宗教者、葬儀業者などそれぞれの業種に向けた各専門セミナー講師に加え、全国各地の主に中学・高校をまわり「いのちの授業」に奔走。警察本部管区合同訓練、海上保安庁の感染管理・遺族対応指導官を拝命。警察協議委員を務める。セミナー・講演を合わせて17年で1700件を超える。
遺族の悲嘆援助(グリーフケア)を中心とした笹原独自の特殊なコミュニケーション法を活用した「参加型納棺」は商標登録を持つ。東日本大震災安置所やご遺体対応時の経験から、感染防御・衛生管理と緊急時に時間をかけない1.2.3のスピーディーな脱着ができる感染防御ガウンNon-lenser(ノンレンサー)を開発・販売し、特許庁より意匠・商標登録の専用権を取得。各方面の専門医からの推薦を受け、警察、医師会に発表後、各現場で採用されている。併せておもかげを失ったご遺体を復元し、遺体保全、遺体管理、感染防御対策を組み込む「復元納棺師」として現役。復元納棺を担当した件数は延べ2万人を超える。
東日本大震災では遺族や機関関係者から呼ばれ遺体安置所をまわり、5ヶ月で300人を超える「復元ボランティア」として奔走。その活動はNHKスペシャル〜最期の笑顔〜で紹介される。現在も震災遺族の会「いのち新聞」の代表として震災遺族の支援を続けている。2021年、震災から10年を機にYouTube「いのち新聞」を配信している。
医師・歯科医師・復元納棺師で構成された、災害被災遺体の保全と遺体対面時遺族対応を目的とした災害時特別チームを日本で初めて結成。Genies(GriefcareforEachperson,NolimitsInanyEmergency)」代表を務め県の防災訓練に出向している。
母は僧侶、子は医師。