過去の不二002 - 臨済宗青年僧の会

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過去の不二002

過去の不二
【002号】
【第2号】
 昭和55年10月15日  

河野太通老師 祥福僧堂師家 【掲載当時】
 
「青年僧の課題」




「青年僧の課題」という題をいただいたのですが、想えばおおきな問題であります。青年僧の課題は、そのまま全僧侶の課題でもあるはずで、より多くの可能性を秘めて居る青年僧のありようは、将来の教団の在り方を左右する責務を負うていると言えますが、何よりも、自己自身の仏道の歩きざまという、ごくわかりきった切実な問題でもありましょう。そしていつの世代にも、この事柄に深刻な情熱を傾けた先達や、無名の求道者たちが無数に居た訳で、歴史に残る祖師方の記述はその軌跡であるといえます。

 そこで、仏語を読み聞き、祖師の語録を繙き学ぶべきでありましょう。臨済宗僧侶が臨済録を読むのは、僧堂で提唱を聞いた時だけで、僧堂を出ると、どうして読まなくなってしまうのでしょう。「不立文字」だからでしょうか。「不浄拭う故紙」だからなのだろうか。語録に説かれるようなことは、僧堂の中だけに通用することで、一般には通用しないというようなことを言う人があります そして世間的価値のみを追求しがちです。しかし宗旨を失っては、伝道も教化もないではありませんか。それでは単なる習俗にしか過ぎません。

 宗旨は、いわば出世間的価値といえましょう。これあって世間的価値を真に価値たらしめるのだと思います。出世間的価値観が、具体的現実の世界に当面して世間的価値観とそぐわない、その″はざま″にこそ今日的求道が、おのずから生れてくるはずです。
そして、時代を超えて要請される課題は、やはりなんといっても、自己の本性を自覚するということ。更にその自覚を自家薬籠中のものにしていくということでしょう。道場修行期間だけのことではなく、成っても成らなくても、自己の生涯にこの困難と思われる課題を課するか否かは、その人の人生に大きなへだたりを生むものと信じます。

 このことはあらゆる課題の根底に横たえられていなければならないものだと思います。しかし「自未得度先度他」は菩薩の行願とされるのですから、たとえ正覚を成じたとしても、利他の願なきは「菩薩の魔事」と戒められるところでありますし「先づ他を度す」ことはすなわち正覚に他なりません。〃十牛の図”の最終段が「入てん垂手」であることを思はなければなりません。

 話しは唐突ですが、もう大分前の事です。小学校低学年の女の子供を頭に五人の子の居るところに、あるご婦人が後妻に入られて、実の母親にも勝る子育てに専念されたのですが年頃に成長された娘さんの一人が、ことごとに継母に対して、あてつけがましいいじわるをするのだそうです。そのご婦人が悲しみまして知人を介して、日頃帰依する某老師に、その娘さんをそれとはなく会わせることにしました。理由は解からず知人と共に老師に会うことを聞かされた娘さんは、怪訝な面もちで「坊さんって、お葬式をする人でしょ」と言ったというのです。この娘は皮肉を言ったのではないのです。ほんとうにそう思っているからそんな人に面会しなければならないことが不思議だったのです。

 とにかく何でも良いから会ってみなさいということで、継母の知人に連れられて老師に相見しました。雑談の後「お母さんを大事にしてあげてや」と一言いわれて帰ったのですが、その後結婚してお腹を大きくして、ひょっこり老師のところへやってきました。継母に対する当時の自分の所業を懴悔し、お腹の赤ちゃんの名前を付けてもらうことを約束して帰ったということなのです。

 「坊さんってお葬式をする人でしょ」というこの娘さんの言葉は、若い人々の仏教僧に対する大かたの見方なのかもしれません。しかしキリスト教の神父や牧師に対してもこのような感じ方をしているとは思えません。そうしますと今日、日本のおおよその仏教僧の仏道の歩きざま、教化のあり方を反省せずにはおれません。

 われわれが教化や布教ということを考えるとき、伝統的法要や言説の方法にのみ重点を置いていはしませんか。自分では言いにくいことですが、教化の原点として「以身説法」ということを今更ながらかみしめてみなければならないと思うのです。それもごく個人的な働きから、今日では社会的広がりが望まれます。自己と他己としての社会が有機的に救われて行く道を求めなければならないと思うのです。

 思いつくまま所感の一端を述べて責を塞がしていただくことにします。

 
臨済宗青年僧の会(臨青)は昭和55年1月に「青年僧よ立ち上がれ、歩め」をスローガンに掲げ発足した全国組織です。
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