過去の不二042 - 臨済宗青年僧の会

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過去の不二042

過去の不二
【042号】
【第42号】平成2年10月発行 

向嶽寺派管長 宮本大峰猊下 【掲載当時】

「意識を持って行動を」



出家するまで

 私は、浄土真宗の信仰の厚い在家に生まれ、育ちました。中学迄はごく普通の子供でしたが高校に入ったとたん、物事に対して何かと思い込む様になってしまいました。もともと性格的に内面に持っていたのでしょうが、急に表面化してまいりました。持に、自分の人生についてどの様に生きたら良いか考え込み出してしまったんです。私は普通の勤め人とか、商売をするとか、一般社会の職業に就くことは、とても出来ないと、まず最初に思ったんです。





 ならば独立独歩で行ける、芸術関係を目指すとか、あるいは、宗教方面に行こうか、いや宗教は私には向いていないし、などとあれこれ考え込んでいたのですが、結極何も結論も出せぬまま考え込んでいるだけで、高校を終え、就職も、進学もせず、家に居りました。しかし、田舎の事ですから、周りがあれこれうるさく「何をやってるんだ」と変わり者扱いされ、家にも居ずらくなり、東京の語学校へとりあえず入りました。





 しかし、頭の中は以前と変わらずじまい。むしろ前にも増して考え込む様になりとうとう二ヶ月後には体が衰弱してしまい、倒れて入院させられてしまいました。ノイローゼだったんです。暫く入院した後郷里の親戚の所で静養し、体調を整え、翌年大学へ入りましたが、三ヶ月程通っただけで行かずじまいです。又、前にも増して深刻に悩む様になって来ました。しかし、どんなに苦しくても宗教には頼りたくないという気持は、強く持っていたのですが、偶然、白隠禅師の「夜船閑話」に出合い「おもしろい本だな、自分もノイローゼだし、こうしたら病気が直るのか」という所から、禅関係の本を手に取る様になりました。





 今迄は、宗教的な事は拒否し続けていたのが、こうなると今度は坐禅をしてみたくて、居ても立ってもいられず、「この近くなら鎌倉だ」と電車に飛び乗りました。が、どういうわけか横浜市の鶴見駅で降りてしまいました。本人は鎌倉へ行くつもりで切符も買ってあったんですが、心に大本山総持寺の存在があったんですね。総持寺では一人の雲水さんが話を聞いて取次いで下さったのですが、断わられました。翌日もう一度お願いしようと思い、門前の旅館に泊りました。夜、考え込んでなかなか眠れないでいると、突然、「そうだ、出家すればいいんだ」と思いついたのです。今迄は、ただ坐禅をしてみたいと思っていただけなのが、この時突然「出家すればいいんだ」と自分の心の中から吹き上げる様に思いが湧いて来ました。今まで悩んでいた人生の道が「出家」と答えが出たとたん、嬉しくて嬉しくてどうにもならない、翌朝、朝食も食べずに総持寺へ行って昨日の雲水さんに心の変化をお話し、再び取次いでもらったのですが、やはり断わられてしまいました。





 しかしこの雲水さんが気の毒がって小浜発心寺の東京道場を紹介して下さったのです。東京の品川にある大雲会東京道場、束照寺をすぐに尋ねたところ、ここの老師さんは私の姿を見るなり「あんたもう安心なさいよ」と言うんです。どこの誰かとも聞かずに、いきなりそう言うんです。この時私は即座に「この人が私の慕うべき人だ」と直感し、又安心致しました。その後、暫くしてここで得度出家し、永平寺や伊深の正眼僧堂に掛塔し、それから、転派して八王子広園寺の三浦老師の下に僧籍を移し、国泰寺、南禅寺、そして又広園寺へ戻り、縁あって向嶽寺にお世話になりました。


歴参のすすめ

私自身が僧堂を五ヶ所も移ったからという事で申し上げるわけではありませんが、できれば歴参をしてもらいたい。現在では、僧堂生活は、だいたい二年か三年でやめてしまいます。これには御自坊の事情ですとか、自分の心境の変化ですとか色々事情があるでしょうが、少なくとも今日では、寺院の経済的な面から、早く帰って勤めに出なければならない様な事情は、段々少なくなって来ています。もちろん、一人の師家について十年十五年と長く修行するのであれば大変尊いことですが、そうでなければ、私は歴参することをお勧めいたします。

色々な家風を学ぶということは大変大事だと思います。歴参の過程で、新たな所得があるでしようし、自分の願心が更につよくなって、もっと修行しようという気持ちになるかもしれない。そういう意味でも私は歴参をするべきだと思います。さまざまな道場のさまざまな老師さんからよいところを自分なりに学び取って行くことは、後の自坊での寺院活動に大いに役立ことです。





布教のありかた

カルチャー教室で何千何百とある講座の中から白分のすきな講座を楽しく学んでいる今の社会ではありきたりで新鮮味のない話しでは訴える力が大変弱いと思います。もちろん布教師さんでも、本当に思わず感動をおぼえるお話しをされる方がおられますがそれを真似ての、二番煎じ、三番煎じでは、今の耳の肥えた檀信徒には通じません。みんな欠伸してますよ。五臓六腑に染みる様な方法を使わないといけない。喋る事ばかりでなくともよいんです。どんな方法でもよいから、自分なりの法材を見つけて、しかも広い角度から法材を選んで行なえばよいんです。





影響力を持て

今都会では、業者がすばらしい葬式をやってくれます。坊さんなんか用無しです。ですから葬式仏教に胡座をかいている様な時代じやないです。檀家制度の崩壊も出始めていますし、昔みたいに、檀家にあれやれ、これやれと言えなくなって来ています。確かに葬式も、法事も、親切にやってあげなければいけないが、それ以上に、具体的な布教活動といった事を中心に、行動しなければいけないのです。それも、檀信徒だけでなく、社会教育の場に出て行かなければいけない。今日、社会教育、家庭教育を宗教者が大いに担うべきだと思います。

今、子供達には問題が非常に多い。この子供達に大きく影響する家庭教育に係ることが出来るのは宗教者だと思いますし、それには、影響を与える行動が必要なのです。





具体的な行動を

たとえば、以前「不二」に載っていました山梨県富沢町の廣福寺矢守師は、今ここを舞台に一つの大きな輪を広げようとしておられます。矢守師は日に一度向嶽寺に来て布教の形で、漢方の治療をしていますが、師は、人の体の苦しみを抜く治療をしながら同時にさまざまな相談を受けています。仏教と深い関係のある東洋医学で、肉体の治療をし、宗教者の立場で、人の心の治療をしているのです。そして又、師匠である、伊藤真愚さん、この方も円覚寺の朝比奈宗源老師の下で何十年も坐禅をした方ですが、この方とコンビを組んで、宗教と東洋医学の両方を学んだ人の集まりを作ろうとされています。

とにかく、皆さんには、どんな法材を用いてもいいですから、少しでも社会に影響力のある行動を起こして頂きたい。「あれは目立ちたがりやで・・・」なんて言われる位に。そんなもん勝手に言わせて置けば良いんです。

それが影響を与えている事なんですから。大いに行動、実践して頂きたいと思います。


臨済宗青年僧の会(臨青)は昭和55年1月に「青年僧よ立ち上がれ、歩め」をスローガンに掲げ発足した全国組織です。
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